日本で釘は、鉄を槌でたたいて四角に作る和釘と呼ばれるものと、線材を材料として機械で作る洋釘と呼ばれるものがあります。この洋釘が現在一般 に使われている釘です。

日本で鉄の釘が使われたのは古墳期といわれています。
日本最古の木造建築物に法隆寺があります。昭和23年にその金堂を解体修理しましたが、その折飛鳥時代のものと思われる和釘がたくさん発見されています。

洋釘は明治初期に輸入され、どんどん浸透して行き、反対に和釘は衰退していきました。明治20年代までに全ての輸入品の洋釘に変わりました。

明治30年、当時の創設者 初代 安田善次郎が、輸入釘を駆逐するために東京深川に製釘工場を建設し、日本で初めて洋釘を製造販売しました。
当時、線材は国内で作ることができなかったので、全て輸入に頼っていました。ところが、輸入線材の価格を高くされるので、国内で作る釘の価格が高くなって、輸入釘に太刀打ちできなくなり、明治35年やむなく休業せざるを得ない状況になりました。

明治41年、官営八幡製鉄所が当社へ線材の供給を目的として初めて国産線材を製造しました。これにより材料に不安がなくなりましたので事業を再開し、輸入釘を駆逐することができました。その後、東南アジア等に輸出ができるようになりました。

太平洋戦争後は対米向け特殊釘の輸出が盛んになり、これにより、特殊釘の技術が発展しました。
昭和40年初期には釘打ち作業の合理化のため、自動釘打機用連結釘が普及する様になりました。
現在は特殊釘の需要が拡大しています。